世界中から注目を集めている「禅」の思想を、
やさしい言葉で伝える活動をしている宇野全智さん。
心の問題にまつわる活動も多く、
生きづらさを抱えている人々に心が軽くなるメッセージを伝えています。
現代人が感じているさまざまな悩みに対し、
2500年の歴史を持つ仏教&禅宗の僧侶は
どんなアドバイスを伝えてくれるのでしょうか。
「SNSをつい見て他人の言動が気になってしまう」
高価な買い物をしていたり、多くの友人と遊びまわっていたり、結婚・出産・昇進をしていたり。自分にはないものを手に入れている様子を眺め、「それに引き換え私なんて」「何であの人ばっかり」と、感情を揺さぶられてしまいます。どうしたらもっと、心穏やかでいられるのでしょう。
心で心はコントロールできない。
まずは「SNSから離れてみる」
まずはとても現実的な方法ですが、禅は「ネガティブな感情が発生している場所から、いったん離れてみる」ということを大切にしています。悲しみや怒り、嫉妬といった感情は自然発生するものなので、それを抑えることはできません。感情を引き起こしている「場」の空気にどっぷりつかって、気持ちだけをコントロールしようと思っても、それは無理な話なんです。
例えば学校や職場で、イラッとしたり、腹立たしかったりする場面に出会ったとき。僕はいったんその場から離れてトイレにでも行って、心を落ち着かせてととのえることをすすめています。冷静になれたら、「不用意にケンカ腰になり、言わなくてよかったことを言わずにすんだ」「ひどい振る舞いをしないで済んだ」と、振り返ることができます。
重要なポイントは、「心で心はコントロールできない」ということなんです。SNSの世界にどっぷりつかりながら、「気になることを、気にならないようにしよう」とはできない。だからその場所から、いったん離れるということが大切です。スマホで常時つながることができるからこそ、「見るのは昼間の1時間だけ」「夜はSNSを見ない」など、自分なりにルールを設けることが大切です。
またこれは余談なのですが、SNSで誹謗中傷や悪口を書かれることがあったりしますよね。お釈迦さまの有名なエピソードに、「悪口は受け取らない」というものがあります。
お釈迦さまが弟子たちと一緒に布教していたときのこと。他の宗派の人間が「俺がひどい悪口を言ったら、釈迦は汚い言葉で言い返してくるだろう。そんな様子を見たら、人気もあっという間になくなるだろう」と、口汚い暴言を投げかけてきました。
お釈迦さまは静かにその男の言葉を聞いていました。そしてその悪口が終わったあと、その男に尋ねました。「もしだれかがお土産を持っていって、相手がそれを受け取らなかったとき、そのお土産は誰のものでしょう?」
男は「そんなの決まっている、相手が受け取らなかったのなら、持っていった人のものだろう」と答えます。お釈迦さまは言いました。「では私も、本日もらった言葉は受け取らないので、あなたがそのままお持ち帰りください」。ひどい言葉、汚い言葉は、自分のものとして受け取らなくていいんです。そうすれば、相手に還っていくのです。
生まれてきたネガティブな感情に重ねて
二の矢、三の矢を受けない
例えば友人が「高級な車を買った」という投稿をしていたとします。そこで湧き上がる「いいな、うらやましいな」という感情が生まれるのは、止めることができない。でもその「うらやましい」という感情に、「自慢話を載せて、嫌らしい」「あの人のお金の使い方は下品だ」「どうして私にはお金がないんだろう、惨めだ」などなど、余計な思いを勝手に乗せて、苦しんでいるのは自分自身なんです。
「うらやましいな」という感情を、そのままの姿でスーッと次に流していけば、自身をそこまで傷つけることはないんです。お釈迦さまはこの感情のテクニックを、「二の矢、三の矢を受けない」と表現しています。
私たち人間には、「四苦八苦」(しくはっく:生・老・病・死の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦を加えた言葉。人が生きていくうえで、避けて通れない「苦」を表した言葉)に代表される、「解決不能な問題」がありなす。生まれてくること、老いること、病気になって死ぬことは、選べないし、ままならないし、思い通りにならない。ここで言う「苦」は、「ままならないこと」を指しています。
これを「どうにかしよう」と考えると、必ず苦しくなるんですよ。だってどんなに頑張っても、あがいても、どうにもならないことですから。ではどうすればいいのか。「人は老いていくものだ」「誰もが最後は死ぬものだ」と受け入れることができれば、「一の矢ですむ」とお釈迦さまは言うんです。
ここで人と比べて「自分のほうがいい人間なのに、どうして病気にならなくちゃいけないの」とか、「あの人より1日でも長生きしたい」なんて思ってしまったら苦しみの上塗りで、そういった二の矢、三の矢を発しているのは、結局自分自身の「煩悩」なんですよ。
坐禅をするのも、修行するのも
「素敵な自分」になるレッスン
「そうは言っても、そういう二の矢、三の矢の感情を抑えられない」という方が大多数でしょう。もちろん私自身も、常に澄んだ心境でいるのはとても難しいです。だからこそ坐禅や修行というものを日々実践しています。坐禅は「沸き上がった感情をそのまま見つめ、流していく」訓練には、本当にうってつけなんですよ。
「修行なんて難しくて、自分の人生には関係なさそう」と思う方も多いかもしれません。でも私たち僧侶が修行する理由、究極の目標は「あの人、素敵だな」と思われる人になることなんですよ。非常にシンプルです。日常生活を丁寧に修めていくことが、修行になると考えており、食事をとったり、歯を磨いたりすることも、立派な修行です。そして僕にとって人類史上いちばん素敵な先輩は、お釈迦さまなんですよ。だからお釈迦さまがしゃべった内容をまとめたお経を読むし、お釈迦さまがやっていた坐禅もやるんです。
もしSNSを見て、他人の言動を見て何かネガティブな感情が生まれたとき、「これは絶好の修行の場だな」と思えたらいいですね。妬んだり、怒ったり、落ち込んだりする自分なのか、それとも人の楽しみや喜びを「よかったね」と思える自分なのか。もちろんそんなに簡単に、素敵な人にはなれませんよ。でも「自分はどちらの人間になっていきたいか」を丁寧に考えてみる。頭で考えるだけでダメだったら、いったんその場から離れ、掃除や坐禅をしてみたりする。そんな風に切り替えられたらいいですよね。
Have a try !
ネガティブな感情が湧いてきたら距離を置くことを大切に。坐禅の方法は曹洞宗HPにも
(https://www.sotozen-net.or.jp/sotozazen)