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禅僧に聞く「現代ストレスの悩みQ&A」⑥

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“無気力”が“生きる力”に変化。「人のため」から始めてみる


世界中から注目を集めている「禅」の思想を、
やさしい言葉で伝える活動をしている宇野全智さん。
心の問題にまつわる活動も多く、
生きづらさを抱えている人々に心が軽くなるメッセージを伝えています。
現代人が感じているさまざまな悩みに対し、
2500年の歴史を持つ仏教&禅宗の僧侶は
どんなアドバイスを伝えてくれるのでしょうか。

Photo : Kohei Yamamoto
Text : Noriko Tanaka
Edit : Ayumi Sakai
今回の悩み

「何をしていても楽しいと思えません」

実生活やSNSで夢や目標に向かって努力する人や、心から好きなことに打ち込んだりする人を見ると、うらやましくなります。何をしても楽しいと思えず、夢中になるものが見つけられません。淡々と日々が過ぎていくけれど、このままでいいの?


人から「ありがとう」と言われる
行動から始めてみる

楽しく日々を送りたい、好きで夢中になれるものが欲しい。そういう気持ちは裏を返せば、楽しく、夢中になるものさえあれば、自分は幸せになれると思っていらっしゃるのだと感じました。禅の世界では、自分が幸せになる方法は明確です。多くの方が誤解しているのですが、それは「自分が修行して、悟りに達すること」ではなく、「自分の存在が誰かの役に立ち、その人から『あなたに出会えてよかった』と言ってもらえること」なんです。

自分のことはさておき、困っている人のことを放っておけない人のことを、仏教では「菩薩」と呼びます。だから観音菩薩さまや地蔵菩薩さまは、拝む対象でありながら、お釈迦さまと同じく憧れの先輩。いや、実在の人間ではないので、憧れの存在ですね。

何をしても楽しいと思えないのなら、菩薩さまをお手本に、誰かに「ありがとう」と言われるようなことをしてみてはいかがでしょうか。例えば「今日はどう行動すれば、3人から『ありがとう』と言ってもらえるだろうか」とか、ちょっとゲーム感覚で。人から感謝されることは、確実に生きる力になりますし、変な趣味でお金を散財しちゃうより、ずっといいでしょう。そうした他者との関わりの中で、自分という存在が肯定されていく経験を重ねていかれると、きっと心に変化が現れると思います。

心の中で人の幸せを願うだけでも
「よい行い」となる

何をしても楽しくないという気持ちは、もしかしたら「誰かから何か楽しいものをもらいたい」という気持ちの裏返しかもしれません。でもそれより、自分から誰かの役に立つことを考えたほうがいい。うまいことやって自分だけが成功した人より、誰かの成功をサポートしたり、困っている人をフォローできた人のほうが、幸せや充足を感じられることが多いですし、何より人として素敵です。

まずは自分ができる範囲から始めてみましょう。「大丈夫?」とか「何か手伝うよ」とか、そばにいる人に声を掛けてみましょう。菩薩は日々の生活を通じてなっていくもの。行いの中にこそ宿るものなのです。

「得意なものなんてない」「体が弱くて、人を助けることができない」「忙し過ぎて行動を起こす時間もない」という人もいるでしょう。そういう方はただ心の中で「あの人の仕事が上手くいくといいな」「あの人が健康でいますように」と、思うだけでもいいんです。仏教では私たち人間の行いを「身口意(しんくい)」と呼びます。「身」は行動、「口」は言葉、「意」は思いのこと。物理的な行動だけでなく、口で発した言葉や心の中で思ったことも同じく行為だと考えます。

会社の同僚のことを「プレゼンが上手くいくといいね」と心の中で思ってみる。そうすると終わったときに、自然と「今日はどうだった?」とすっと声掛けができたりします。相手も「気にしてくれていたんだな」とうれしくなる。さらには「何かあったら言ってね」「手伝えることがあれば、やるからね」と、言葉を掛けやすくなる。こんなことも、仏教では大切な「修行」のひとつです。修行というと、日常生活から離れて山奥にこもるみたいなイメージを持つ人がいるかもしれませんが、生活や社会から離れた修行には、あまり意味がありません。

仏教は現代社会を生き抜く
知恵の宝庫です

仏教というと現代社会とはあまり接点がない、教科書の中に載っている教えと思う人も多いかもしれません。けれども仏教は、誕生してから数千年に渡る時代の荒波に検証されてきた、非常にタフで、普遍性がある教えだと僕らは考えています。

仏教の大きな考えのひとつに「無常(この世の一切のものは常に変化して、永遠不変なものはない)」、それからこの連載でも紹介した「四苦八苦(人が生きていくうえで、いくら頑張っても思い通りにできないこと)」があります。仏教が誕生してからすでに2500年ほどの年月が経っていますが、不老不死になった人はいないし、病気だってこれだけ医療が発達しても完全に克服されることはありませんし、あのコロナ禍の騒ぎも記憶に新しいでしょう。

仏教の信仰は「believe」ではなく「awake」と表現されることがあります。「信じる」ではなく「気づく」「目覚める」。お釈迦さまや誰か偉い人のはなしをただやみくもに信じるということよりも、自分が生きる時代の中でそれぞれが、気づき方を確認し、仏になる方法、菩薩になる方法を考える。「あなたはこの時代に、どう素敵な人になっていく?」と、私たちはお釈迦さまからこの時代を任されているんです。

僕は話をしても、文章を書いても、お釈迦さまにはとうてい及ばない。けれど、坐禅をして、呼吸している中で、お釈迦さまもまた僕と同じひとりの人間で、「四苦八苦」から逃れられない絶対的な平等性の中に生きた、同じ生身の人間であったことを感じられるんです。それを感じながら、できることを少しでもやっていこうと思えます。

何か生きづらさを感じることがあったら、仏教の知恵を紐解いてみてください。きっと何かしら、ヒントになることが必ず書かれていると思います。

Have a try !
人の幸せに繋がる行動は、きっと自分の幸せにも繋がります。
行動が難しければ、「思う」だけでも大丈夫。坐禅の方法は曹洞宗HPにも
https://www.sotozen-net.or.jp/sotozazen
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