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禅僧に聞く「現代ストレスの悩みQ&A」④

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あなたはひとりではない。 誰かと繋がり、人の役に立っている


世界中から注目を集めている「禅」の思想を、
やさしい言葉で伝える活動をしている宇野全智さん。
心の問題にまつわる活動も多く、
生きづらさを抱えている人々に心が軽くなるメッセージを伝えています。
現代人が感じているさまざまな悩みに対し、
2500年の歴史を持つ仏教&禅宗の僧侶は
どんなアドバイスを伝えてくれるのでしょうか。

Photo : Kohei Yamamoto
Text : Noriko Tanaka
Edit : Ayumi Sakai
今回の悩み

「孤独を感じ、心底さびしくなる」

周りにたくさん人がいても、「どうせ私はひとりなんだ」「私のことを分かってくれる人はいないんだ」と、ふとした瞬間にさみしくなります。ひとりで食事をしていると落ち込んだり、夜寝る前に「こうして孤独に死んでいくのだ」と眠れなくなったりします。


心と心が繋がる瞬間があれば
それが「生きる力」になる

これは人から聞いた話ですが、誕生パーティーに友達が100人も集まる人気者がいたそうです。その代わりなんと!その人は1年のうち100回も誕生会に出席しなくてはいけないらしい。こっちに出席したから、あっちは欠席というわけにはいかない。だからいつでも忙しい。笑い話のようですが、「友達がたくさんいることの辛さ」というものも、確実に存在します。こんなこと言ってはいけないかもしれませんが、自分の時間を大切にするためにも、友達はなるべく厳選したほうがいい(笑)。

京都の友人で、自殺の問題に取り組む団体の代表をしている僧侶がいます。彼は仲間たちと一緒に、「死にたい」という思いにとらわれてしまった方々の電話相談活動を続けています。乱暴な質問だと思いましたが、あるとき彼にこう尋ねたことがあります。「思いつめて電話をかけてくる方で、本当に死んでしまう場合と、思いとどまる場合は、いったい何が違うのでしょうか」と。

彼はしばらく考えて、こう答えました。「電話をかけてくる方の状況は人それぞれ、死にたいと思う理由もひとつではありません。僕たちは解決策のアドバイスなどせず、ただ辛い気持ちに寄り添うことしかできません。でも仮に、自分がそういう状況だったらと想像すると、『自分はこんなに苦しいんだ』という気持ちを、世界中の誰かひとりでも分かってくれたら、『そうなんだ』と寄り添ってくれたら、もしかして思いとどまるかもしれない」と。

分かってくれる人は、別に友人や身内でなくていいんですね。会ったこともない、たまたま電話の先で繋がっている人間であっても、「自分に寄り添ってくれている」と感じられたら、その人は死を思いとどまるかもしれないのです。

以前のご相談で、「今どんな気持ち?」と聞いてみることをおすすめしましたが、ひとりが辛いと感じたら、まずは自分から誰かに声を掛けてみてはいかがでしょうか。そうすれば相手も「この人は何で私の気持ちを聞いてくれるんだろう?」となり、あなたを見つめ、その瞬間に心と心が繋がるかもしれません。誰かの「気持ち」を聞くうちに、今度はその相手が「あなたはどんな気持ち?」と聞き返してくる可能性もある。ほんの数分、ほんの少しの勇気で、誰かに対し思いやりの気持ちを発することができれば、「自分は孤独だ」と思う場所から、少し離れることができるかもしれません。

毎日の食事を通じて
孤独ではないことに気づく

禅は生活すべてを丁寧に行うことが修行であると考えますから、食事の時間もまた、大切な修行の時間です。「五観の偈(ごかんのげ)」と呼ばれる短いお経を食前に唱え、坐禅をしながら黙々と食べるのが決まりです。この「五観の偈」には、「食材にかけられた多くの手間と苦労に思いを巡らそう」「自分の行いがこの食事をいただくに値するかを反省しよう」「欲望を満たすためではなく、健康を保つための良き薬として受け止めよう」といった、禅の大切な教えが詰まっています。

「このお米や野菜は、誰が育ててくれたんだろう」と、食を通じさまざまな人たちとの繋がりを感じながら、静かに食べ進めていくわけです。いろんな人が手をかけ、届けてくれたものの価値を丁寧に受け止めていけば、「自分はいろんな人に支えられている、決してひとりじゃない」と思えるでしょう。でもこれが友達とワイワイ食べていたら、そんなことはそっちのけ、おしゃべりの行き先ばかりに気が取られがちです。ひとりのほうが見えるものが増えるし、感じることも増える。つまり感度が上がるんです。そしてひとりでも、孤独ではないと気づきやすくなると思います。

社会で生きている限り
あなたは誰かの役に立っている

水道の蛇口をひねれば水が出る、温かい部屋で食事ができる。そうした中で自分は生かされていることに感謝できるようになれば、自分もまた、どこかで誰かの役に立っているかもしれないと気づけるかもしれません。ねじ1本、バネ1本のような小さな部品でも、それがなければ大きな機械を動かすことはできません。あなたが何か買い物をすることで、お給料をもらえる人もいるのです。社会の中で働くこと、生活すること、食べたり活動したりすることは、すべて誰かと必ず繋がっていくのです。

たとえ老いて病人になり、誰かの世話になるばかりの生活になったとしても、お返しに優しさや思いやりをあげることはできます。僕の知り合いで、介護施設の配膳係として勤めている方が、以前こんな話をしてくれました。人手が足りなくて、食事を配っている間に、お味噌汁が冷めてしまったそうです。とある部屋で「おばあちゃん、ごめんね。お味噌汁が冷たくなっちゃって」と声をかけたら、「大丈夫よ、口の中で温めて食べるから」と言われたそうです。

知り合いはその言葉を聞いて、思わず涙したそうです。温かい料理を出せなかった申し訳なさと、それに対して優しい言葉を返してくれたありがたさと。例え介護を受ける側でも、お世話をしてくれる相手に、何か「幸せなもの」を差し出せることができるんですね。仏教における修行とは、仏という「素敵な人」に近づくことであるとこれまでお話してきました。知り合いは、そのおばあさんの中に、仏さまの姿を垣間見たのかもしれません。

Have a try !
ひとりでいることがさみしく思えたら、誰かに声をかけてみましょう。
きっとあなたにも手渡せるものがあるはずです。坐禅の方法は曹洞宗HPにも
https://www.sotozen-net.or.jp/sotozazen
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