ミニマルで上質な暮らしが人気を集めるエッセイストの広瀬裕子さん。
驚くほど物を持たない広瀬さんが、手放さずに使い続けている物、新たに手に入れた物とは?
「本当に好きなものを少しだけ、大切に使う」という広瀬さんの審美眼に叶った
日用品の物語を綴ってもらいます。

60歳からのワイングラス
60歳の誕生日にワイングラスを自分に贈りました。トラベラーという名前のついたグラスです。
ワインに限らず、お酒をほとんど呑まなくなりました。正確には、呑めなくなったのですが。それでも、夕食時は、何らかの飲み物を用意します。毎日の大事な食事です。「思いのあるグラス」を使いたいと以前から考えていました。
トラベラーを選んだのは、その名の由来からです。旅に出る際、持っていけるようにと造られた小ぶりでかるいデザイン。旅行用のケースも用意されています。実際、旅に持っていくかは別として、どこかへ旅に出る時「愛用のワイングラスとともに」を思いうかべるだけで、楽しさはふくらみます。
ワイングラスに注ぐと──それが一般的な炭酸水だったとしても──おいしく感じます。グラスの繊細さとうつくしさが、味にも、見た目にも、魔法をかけるのだと思っています。
実際、トラベラーを使いはじめてから、わたしとグラスの関係は変わりました。あつかう手は以前よりやさしく、水滴が残らないように拭きあげ、この先できるだけ長く使おうと思っています。
トラベラーは、ウィーンで造られています。200年の歴史を持つロブマイヤー。グラスを使うことで、その長い歴史のほんの一瞬、わたしはその時間とつながれます。グラスを手にすると自然と背すじがのびます。いつの日かトラベラーを手にウィーンへの旅に。

季節のくだものとふるふるのゼリー(新橋小川軒)は、夏のたのしみです。