2022年、50歳で2度目のパリ移住を決行し、
フランス人のパートナーと2匹の猫と暮らす猫沢エミさん。
一見メンタルが強そうで楽観的に見えるフランス人は、
落ち込んだり心の不調を抱えたとき、どう対処しているのだろうか?
編集部の素朴な疑問に、猫沢さんが現地で感じるメンタル事情のリアルを
エッセイで綴ってくれました。全3回にわたってお届けします。
人の顔色をうかがわずに自分で決める日々の予定
『朝起きてみると、なんだか具合が悪い。でも、今夜は友人たちとの夕食会をずいぶん前に約束してしまっている。しかも主宰する友人は、料理の腕を振るうと言っていたから、食材の準備は昨日からしているはずだ。そんなところに私がキャンセルしてしまったら申し訳ない……よし、ちょっとしんどいけど、頑張って行くか』。
みなさんにはこんな経験がおありだろうか。私が日本に暮らしていた時、たびたびこうしたシチュエーションがあった。もちろんこれは〝具合の悪さ〟にもよるけれど、時にはかなり無理をしてまで約束を守っていたように思う。 そもそも私の性格は〝武士に二言はござらぬ〟みたいな、へんに律儀なところがあって、いわゆるドタキャンなんてもってのほか、というバカ真面目な考えに縛られていた。人によって強弱はあるにせよ、日本人の私たちが持っている、約束を守ることを含む強い責任感は、基本的に素晴らしいものだと思う。しかし、行き過ぎた真面目さが自分自身を無駄に追い詰めるという、本末転倒な側面も同時に持ち合わせてはいないだろうか。
自分の真面目さが自分自身を追い詰める、の代表選手みたいな私が齢50を過ぎて、だいぶ日本とは異なる約束に対する感覚のフランスで暮らし始めたら、いろんなギャップがおのずと出始めた。

ある時、我が家で親しいフランス人の友人を招いて夕食会を開くことになった。メニューをあれこれ考えて、マルシェでいい食材をすでに調達済みだったのに、肝心の私が体調を崩してしまった。しかし当日のリスケは気が引けるし、せっかくの食材がもったいない……など、あれこれ考えた末に、無理をしてまで料理を始めようとしている私に向かって、同居しているフランス人の彼が言った。「延期にすればいいじゃないか。食材は他にも使えるし、その日の調子なんか当日になってみなきゃわかんないんだから、リスケしても誰も怒ったりしないよ」。確かに彼の言う通りだった。かなり事前から予定していた大規模な夕食会だったのにも関わらず、参加者の誰もが〝D’accord!–ダコー/了解〟と、あっさり返信をくれて、会は延期となった。
この逆もしかりで、呼ばれていた食事会が、主宰者の都合で突然なくなったり延期したりすることもフランスではよくある。この〝都合〟には、病気や不測の事態といった確かな理由から、ただ単に〝疲れた〟とか〝気分が乗らない〟など、日本人の私たちからしてみれば、〝いい加減な人〟と取られかねないような理由も、当たり前のように認められる。なぜか? 人の体調や気分は、その日になってみなくてはわからないからだ。そして気乗りしない人が、楽しむための食事会を無理に催しても、楽しめないから。なんてわかりやすい(笑)。

フランスと日本の違いは様々あるけれども、大きな違いの1つだなあと思うのが、この心と体の生理現象に対する捉え方だ。日本では疲れればエナジードリンク、眠くなれば眠気覚ましのドリンク、風邪をひいたら〝休めないあなたへ〟と、眠くなりにくい風邪薬を勧める。そこには〝生理現象はコントロールして、ベストな自分を保ってこそ立派な社会人〟というような暗黙のモラルがある気がしてならない。かたやフランスは、生き物が生命を営むために起こす体の働きなどという、当たり前で必要な生理現象と闘おうなんて発想自体がない。これはフランス語にも表れていて面白いなと思う。フランス語で「眠くなった」時の表現にいちばん使われるのが《Je suis fatigué(e)-ジュ・スィ・ファチゲ/私は疲れた》という表現なのだ。フランス語を学び始めた頃の私は、フランス人の友人に「疲れたんじゃなくて、ただ単に眠いだけ」と、あくまでも疲れと眠気は別物だという日本人的な説明をしていたのだけど、「眠くなるのは疲れたからでしょ? だから疲れた(眠くなった)ら寝ればいいし、寝るべきなのよ」とキッパリ返された時、パカパカに乾いたバゲットで頭をカーン!と殴られたような、軽い衝撃が走った。そして、闘うことなど無駄な相手と、今まで根性論で闘ってきたんだなと自覚した。
《誰の顔色も伺わず、自分自身の心と体に聞いてみて、無理をしない》、それが当たり前の空気として社会全体に流れているフランスは、他者の生理現象についても寛容だから、先にお話しした〝気分でリスケ、ドタキャン〟に罪悪感を感じる必要もない。そんな国に現在、フランス人のパートナーと暮らしている私は、彼との予定を決める時もふんわり捉えて、それに対して前々から準備しすぎないことにしている。もちろん、仕事や病院の診療予約など、フランス人だって、できるだけリスケしないようにしようとする約束のジャンルはある。けれどそれ以外は、《誰の顔色も伺わず、自分自身の心と体に聞いてみて、無理をしない》が、適応される。
ところで日本はお土産文化大国なこともあって、人と会うとなると事前に贈り物を準備したりすることがある。パリに暮らしていても、日本からやってくる友人を迎えることが多い私は、こうしたしきたりを今でも変わらず続けてはいるけれど、もっと捉え方が軽やかになった。時間があって、私自身が楽しめれば事前にお土産を探しに行けばいいし、なければ当日、家の周りでちょっとしたものを見つければいい、という具合に。
何一つプレッシャーを感じなくていいのだ。そして、まず自分自身の心と体に「今日はどうしたい?」と尋ねてみること。すべては人生を楽しむためにあるのだから、楽しめそうにもない時は、《Je suis fatigué(e)ジュ・スィ・ファチゲ》と言って、深く眠ればいいのだ。