現代人が抱える悩みや日々わいてくる心のもやもやに、
多くの人とその人生に向き合い、心を癒してきたあの人がアドバイス。
今回の回答者は、禅宗の僧侶・宇野全智さんです。
パートナーの家事のやり方が自分と違っていたり、ちょっとだらしなかったり、頼んだことを忘れられたり。日常のささいなことは大目に見て楽しく暮らしたいけれど、一緒に過ごす時間が長いせいか、気持ちを切り替えるのが難しいです。どうしたらパートナーに対して大らかな心でいられますか。
あなたは、相手にとって
「完璧な」パートナー?
誰かと一緒に暮らしていると、相手のアラや欠点が目についてイライラすることもありますね。友達なら見逃せるようなことも、同居人だと逃げ場がなく生活に直結しますから、イライラするのも仕方がないと思います。
だけど、不満をそのまま相手に投げてもブーメランのように自分に返ってきて、いいことはないもの。そんなときは「果たして自分はパートナーに対して完璧に接しているだろうか」と考えてみてはどうでしょう。
私の好きな言葉に「結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じて見よ」というものがあります。これはイギリスの牧師トーマス・フラーの言葉で、宗教は違いますが、禅の考え方と近いものがあります。
「自分はちゃんとできているだろうか」
と謙虚に省みる
禅では、信仰生活を始めるにあたり、信者は僧侶から十六の戒を受けます。その中に、信者がするべきでない十のいましめがあります。1つめは生き物をむやみに殺さない。2つめは盗みをしない。3つめはよこしまな淫欲にふけらないなど、基本のことが並びます。そして6つめが「不説過戒(ふせっかかい)」。すなわち、他人の過ちのみを責め立てることはしないといういましめです。
なぜこれが6つめに示されるのか。それは、基本的なことが身について、そこそこ自信がついたときにやってしまいがちなことだから。パートナーとの生活でも、「自分はできている」と思うからこそ「あなたはなぜできないの?」と責めたくなるのではないでしょうか。
先ほどの「片目を閉じて見よ」には、相手への思いやりや多少のことは見逃す姿勢がありますが、「閉じた片目は自分の方に向いてる」という意味も含まれているでしょう。つまり、「自分はできているだろうか」という自己反省です。そう振り返ってみると、パートナーに対する思いや見え方が変わってきませんか。
誰にも迷惑をかけずに
生きられる人はいない
日本では子どもに「人に迷惑をかけないように」と教えます。対して、お釈迦さまが生まれたインドでは、「あなたは人に迷惑をかけて生きているんだよ」と教えるそうです。つまり、相手の迷惑も受け入れてあげましょうね、ということなんです。
人に迷惑をかけずに生きられる人はどこにもいません。パートナーに対するイライラや不満を抑え込むよりも、「自分だって完璧じゃないよね」と謙虚に振り返ることで、穏やかに相手を許容できるでしょう。