2022年、50歳で2度目のパリ移住を決行し、
フランス人のパートナーと2匹の猫と暮らす猫沢エミさん。
一見メンタルが強そうで楽観的に見えるフランス人は、
落ち込んだり心の不調を抱えたとき、どう対処しているのだろうか?
編集部の素朴な疑問に、猫沢さんが現地で感じるメンタル事情のリアルを
エッセイで綴ってくれました。全3回にわたってお届けします。
セラヴィ=人生だから仕方がない、は魔法の言葉
《C’est la vie-セ・ラ・ヴィ》直訳すると〝これが人生だ〟。つまり〝人生だから、仕方がない〟という意味で使われるフランス語。日常でなにか不測の事態が起きたとき、フランス人は決まってこのセラヴィを口にする。それは、いつもなら開いているレストランが臨時休業していたなどという他愛もないアンラッキーから、かなり深刻な事態まで幅広く使われる。そこには〝人生には避け難い不運がついてまわるもの〟というあきらめと同時に〝考えても仕方がないから、いち早く気分を切り替えて次に行こう〟というポジティヴな意味合いも含まれているのだ。
セラヴィについて考える際、つと振り返る小さな思い出話がある。一緒に暮らしてまもなく3年になるフランス人の彼に、笑っちゃうほどアンラッキーな1日があった。
ひさしぶりに会う友達とのランチに出かけた彼。午前中、家で仕事をしなくてはならなかった私は、ランチの場所が決まり次第、彼からアドレスを送ってもらい合流する予定だった。ところが待てど暮らせど連絡が来ない。この日は、いつ雨が降ってもおかしくない重い曇天の空だった。雨が降り始めて午後2時を回ったころ、びしょ濡れの彼が家に戻ってきた。聞けば携帯の充電が切れてしまい、私への連絡はおろか、友達に会うことすら叶わなかったと。そのうえ、暇つぶしのタバコも家に置き忘れてきてしまい、2時間も待ち合わせのカフェで何もせずぼんやりする羽目になった(友達も急なリスケがあったのだけど彼の携帯がオフになっていて、かけても繋がらなかったそうだ)。そして、あきらめてカフェを出た瞬間、雨に降られるという、まさに踏んだり蹴ったり。話を聞いて憐れんでいる私の横で、彼は一言「セラヴィ」と言って笑った。それから何事もなかったかのように、シュッと仕事を始めた。その鮮やかな切り替えを見た私は、心の中で〝セラヴィの一言で流せるフランス人のセラヴィ力、ハンパねえ!〟と思ったのだった。
なんて悠長にフランス人のセラヴィ力について考えていたら、今度は私がヴァカンス出発の前日に、滞在許可証と銀行カード入りの財布、iPhone、家の鍵という、生きていくにあたっての三種の神器がすべて入ったバッグを盗まれるというサイコーにセラヴィな事件に巻き込まれてしまった。そもそもフランス、ことに多民族が入り混じるパリは、日本に比べると決して治安がいいとは言い難く、想像を超えてくるような珍事が起きやすい。私が遭った手痛い盗難もめずらしいことではなかった。盗んだ人はプロのスリらしく、どう考えても人の手の届かない場所からバッグは忽然と消えていた。社会構造からくる、こうした如何ともし難い不運もまさにセラヴィ! そう。セラヴィとはまさに、フランスで生きているからこそ起きる不条理な出来事を一掃してしまう、魔法の言葉なのだ。
でも、そんなフランス人だってセラヴィじゃ片付けられない時もある。そもそもフランス人のステレオタイプなイメージは?というと〝自信に溢れていて、ちょっとお高くとまっている〟ではないだろうか? それゆえに、彼らのメンタルが、日本人の私たちよりも強そうに見えるのも事実だ。ところが以前、日本在住歴の長いフランス人の友達と居酒屋で飲んでいて、こんな意見を聞いた。「フランス人がメンタル強そうに見えるって? ぜんぜんだよ! 彼らのちょっと高慢に見える態度は、メンタルの弱さを隠すための鎧(よろい)なのさ。めったなことでは涙を見せずに、自分を律しようとする君ら日本人の方がよっぽど真の強さを持っているよ」と、彼は日本人の仕草でハイボールをあおった。
確かに普段のフランス人は、個々の意見をはっきりと持って生きている人が多いことや、フランス語の会話術が基本的にディベート(1つの議題に対して意見を闘わせること)なのもあって、イキイキと討論している姿から怯んだり凹んだりしている姿は想像しにくいが、日本人の私たちよりも、本当の自分を見せるのは限られたごく一部の信頼している人にだけという印象を受ける。そして人付き合いが苦手、不器用な人ももちろんたくさんいる。職場での人間関係がうまくいかないことからアルコール依存症になり、一時期カウンセリングを受けに心療内科へ通っていたフランス人の友達もいた。
自分がメンタルに問題を抱えていることを周囲に話す、という点については、やはり日本と同じくデリケートなところがフランスにもあるけれど、心に不調をきたしたら、体の不調と同じくクリニックへ行くということに関しては、日本よりもずっと抵抗も偏見もないように見える。
そして、〝ひとりひとりが、その人らしく生きて当たり前〟という空気感が、ことにコスモポリタンな街・パリには満ちている。通りで泣いている人がいたら、理由はわからずとも必ず「Ça va?-サヴァ?/ 大丈夫?」と声をかけてくれる人がいる。パリが泣ける街なのは、泣かせてくれる人がいるからなのだ。そして普段、強がっているフランス人だからこそ、その弱さを公の場で露わにした時、泣く人の涙を自分の人生と重ね合わせて、互いに心を寄り添わせるのだ。
セラヴィ、人生だから仕方がない。さあ、次へ行こう!