2022年、50歳で2度目のパリ移住を決行し、
フランス人のパートナーと2匹の猫と暮らす猫沢エミさん。
一見メンタルが強そうで楽観的に見えるフランス人は、
落ち込んだり心の不調を抱えたとき、どう対処しているのだろうか?
編集部の素朴な疑問に、猫沢さんが現地で感じるメンタル事情のリアルを
短期連載の最終回をお届けします。
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Edit : Ayumi Sakai
同調圧力に巻き込まれにくい彼らの心持ち
昨年末、私の滞在許可証の更新手続きのせいで、我が家(とはいえ、私とフランス人の彼、猫2匹の小さな家族)の雰囲気が、めちゃめちゃ悪かった。彼も全面協力体制での膨大な資料作りを、約2ヶ月間に渡って仕事の合間にやらねばならず、あまりの大変さにしなくていい喧嘩や小言が増えて、雰囲気はどんどん悪くなっていったのだ。もしも彼が日本人ならば、〝いくら大変でも彼女のためだし、そもそも彼女が悪いわけじゃないんだから、グッと堪えよう〟と考えはしないだろうか? ところがフランス人だとそうはならない。〝彼女のため、彼女は悪いわけじゃない〟と資料作りの大変さは別物で、彼は純粋に作業そのものにうんざりして機嫌が悪くなっているだけなのだった。
わかっていても、同じ部屋の中でイラついている人がいると、日本人の私は気が気でなくなる。そしておのずと自分自身が責められているような気分になってしまう。だって滞在許可証の更新は、私という存在あってのことだから。ところがここでも日本人とフランス人の視点の違いが出てくる。責任の所在について、さかのぼってまで紐付ける私たち日本人と、目の前にあるリアルな状況を、それ単体で切り離して考えるフランス人。つまり彼に言わせると、「俺が不機嫌なのは、作業量の多さとややこしさに対してだけで、なんでエミが全責任を負って、申し訳なさそうにしているのか理解できない」というわけだ。

フランス人のこうした〝理由もなく無駄に責任を感じない〟場面は、街の中でもしょっちゅう目にする。たとえば、スーパーなどで買い物をしている時、何か不備があったことを客が店のスタッフに申し出ても、決して「申し訳ありませんでした」というセリフは返ってこない。不機嫌な客が文句をまくしたてようが、飄々と受け流して処理するだけだ。そこには、〝私はここで働いていても、不備は私個人の責任ではないから、何一つ責任を感じる必要などない〟というフランスではごく当たり前の考え方がある。そりゃあ日本からやってきた私にしてみれば、腹が立つこともある(笑)。でも、〝お客さまは神さまです〟の日本で感じていた客と店の人の不公平感は、ここにはない。そしていくら職場とて、団体理念が個人を侵食することが少ないから、働く人は必要以上に客にへつらうこともなく、のびのびとヒューマンに、その人のままで仕事に専念できているように見える。
フランス人について、よく語られる〝個人主義〟とは、《権威を否定して個人の権利や自由を尊重する考え方》を指すもので、個人主義=自分勝手で他者をかえりみない、という表層的なイメージとはまったく違う。先のパリ・オリンピックでも炸裂していた、個人主義のフランス人が個々の意思をひっさげて集団化した時の威力を見てもわかるとおり、彼らは決して他者の意見を聞かない人たちや、集団行動ができない人たちではないのだ。
これに対して〝集団主義〟とは、《個人と集団の関係において、個人は集団と心理的な一体感をもつとともに、集団の目的や利害を自分のものよりも優先させる》というものだ。まさに日本! そして、この中の〝個人は集団と心理的な一体感をもつ〟に、日本人の私たちは支配されすぎてはいないだろうか? 先に私がお話しした、滞在許可証更新時の資料作りでの〝同じ部屋の中でイラついている人がいると、日本人の私は気が気でなくなる〟は、集団との心理的な一体感が、個人を侵食している状態なのかもしれない。

資料作りの初めの頃は、彼がイラつくたびにきゅっと身を縮こまらせていた私だったが、だんだんとアホらしくなってきて、2ヶ月も経つ頃には、彼の機嫌が悪かろうが知ったこっちゃないという境地に辿り着いた(笑)。イラついている時、「なんで?私のせい?」など余計なことを言わず、放置しておけば勝手に機嫌が直るとわかったからだ。フランス人は横に誰がいようが、ストレートに不快感を露わにするけれど、それは個人のものだから個人が処理すべき問題として、たまたま横にいた人はスルーすればいい。 こんなふうに書くと「やっぱりフランス人って協調性に欠ける!」というイメージを持たれるかもしれないが、彼らは同調と協調を明確に分けているだけなのだ。昨今の日本で話題に上がる〝同調圧力〟の問題が、フランスにはまったくないとは言い切れないけれど、日本のそれに比べればずっと少ない印象だ。そもそも自分の意見を持ち、それを表明してナンボのフランスでは、他者と意見が食い違うのは、それぞれが違う人間なのだから当たり前のこととされる。そして、人との関係性は同調ではなく、〝協調〟《違う考え方を持った人間同士が、互いの落とし所を探りながら歩み寄っていく》で成り立っている。
先日、彼が言った。「日本人って、なにも悪いことしてないのにすぐ謝るよね。っていうか、むしろスミマセンを初めから言う気満々じゃない?」確かに(笑)。なぜなら島国で、狭い領土を分け合って暮らしている日本では、他者を気遣い、事を荒立てないことがなによりとされるから。そしてそれは、決して悪いことじゃない。大方の日本人の他者に対する細やかな配慮は、おそらく世界ナンバーワンだと思うし、それがゆえのホスピタリティーが隅々まで行き届いている。世界でも類を見ないほど〝いい人〟たちが暮らす日本。だからこそ、自分を削ってしまうほどの譲歩はしなくてもいいんじゃないかと、遠い海の向こうで、私は故郷の仲間を抱きしめたくなる。
もしもあなたが、自分のせいじゃないのに謝らねばならないシーンに出くわしたなら、フランス人のように《Je m’en fous!-ジュ・モン・フー!/ 私の知ったこっちゃない!》と、横を向いて小さな悪態をつけば、ちょっと気分がスッキリするかもしれない。