
「うつくしさ」と「叡智」を暮らしの中へ
海辺の町で暮らしていた20年前、坐禅に通っていたことがあります。木々のなかに佇むのは、京都から移築された建物。そのなかで坐る時間は、こころ落ち着く時間であり、時に眠気に抗う時間でもありました。
応量器というものがあることを知ったのも、そのころです。禅宗の僧がお寺での修行の際、持参する器だと教えていただきました。応量器と、必要最小限のものを入れた袈裟行李(けさごうり)だけを持ち、修行僧はお寺に入るそうです。
はじめて応量器を目にした時「うつくしい」と思いました。使い方や収まりに対し「理にかなっている」と感心しました。「このうつくしさと叡智を暮らしのなかに取り入れたい」。そう思い、応量器を手にしました。
応量器は、漆でつくられています。それもあり、安価ではありません。でも、ひとりの僧が一生使いつづけられるようにつくられています。直しながら使いつづけられるように考えられているのです。
わたしも、一生、ひとつの応量器を使いつづけよう。そんな思いで、実際に永平寺で使用されている応量器を迎いいれました。
使いはじめてわかったのは、応量器はお粥を食すのに適しているということです。本来、そういう使い方をされているので当然なのですが、やわらかいご飯を匙で、が使いやすいように感じます。
体調管理を兼ね、時々、お粥だけの食事にすることがあるのですが、そういう時は、応量器にたっぷりのお粥を盛りつけ、香の物を添えます。もちろん、自由に使うこともあります。シンプルな和食の献立が応量器には合いますね。
不思議なことに、献立が簡素でも、質素でも、応量器での食事はさみしくなりません。元々「そういうもの」と捉えているからかもしれません。または、漆の力なのか、形のうつくしさなのか。理由はわかりませんが、いつもとはちがう満たされ方をします。
もしかすると、以前、坐っていた時の風の流れや木々のざわめきがよみがえってくる──からなのかもしれません。
< 今日の「ご褒美」 >

着物を着る日は、お祝い事や節目と言った「よきこと」がある日。
髪を整え、着つけをしていただき、支度をする。
着物だけでなく、準備の時間もご褒美です。
