お客様から「元気がないときに、おすすめの本はないですか?」と
よく訊かれるというペンギン ブックストア店主の立石さん。
そんな時、立石さんは「元気が出る本」ではなく
「元気がなくても楽しめる本」を紹介しているのだそう。
気持ちに寄り添ってくれて、硬くなった心をほぐしてくれる。
そんな一冊を、毎月セレクトして独自の視点で紹介する人気連載。
人生に何度も訪れる、体と心のアンバランスを
しなやかに乗りこえるためのファッション・エッセイ
私の店の古本売り場の一角に、「非売品コーナー」があります。大切な本だから売りたくないけれど、よかったらどうぞ見てください、というコーナーで、そこにはカバーがすっかり擦り切れたこの本がいつもあります。心が疲れたなと感じたとき、この本を手に取り美しい装丁を目にするだけで、ほっとする自分がいるのです。
光野桃さんを知ったのは、20代前半のころ。当時私はあるファッション雑誌の大ファンだったのですが、毎月最初に開くのは光野さんのエッセイのページでした。彼女の文章はおしゃれなだけでなくて哲学があり、姉のように温かい優しさにもあふれていて、いつしか光野さんは私にとって、「こんな女性になりたい」という憧れの存在になりました。
この本は光野さんが40代になって、心身ともに原因不明の不調を抱え、やがて立ち直るまでの経験を綴ったエッセイです。スランプの原因はひとつではないとしながら、「女のからだが変わる時期と仕事の転機とがぴたりと重なったことによって起こったともいえるだろう」と振り返っています。思い当たる方も多いのではないでしょうか。
頭も体も重くて動けない。人恋しいのに、なぜか友人たちからの連絡も途絶えがち。さらにその時期はおしゃれのスランプにもなり、何も洋服を買うことができなかったといいます。
「少女の尻尾を切り捨てて」という一節が印象的です。「四十を過ぎて、私は自分の内面と外見とのずれに気がつき始めていた。気持ちは少女のままなのに、からだは歳を取っていく。このままでは奇妙な中年女になってしまうだろう。」年齢の節目にアンバランスな状況に置かれることも、女性の不調の原因のひとつかもしれません。「かわいい」と言われたい気持ちを卒業して、大人の女性になるには。光野さんがたどりついた答えは、「母性を持つこと」。相手を、そして自分を包み込むような気持ちをもつことでした。
人生における不調の波は、これからまた何度も訪れるでしょう。光野さんは言います。「波から逃れることはできないし、それこそが生きること」。そして「必ず時間が解決してくれる、焦らずに待って」と。やわらかく、しなやかに。サーファーが波を乗りこなすように、次の不調の波も乗り越えていけたらいいなと思います。
『スランプ・サーフィン』
光野桃・著/文藝春秋
ある日突然やってきたスランプの大波に、とまどい、恐れ、悩みぬいた末にたどり着いた脱出法は――。
雑誌の編集者を経てイタリアに在住後、
執筆活動を続ける光野桃が40代半ばで書いたファッション・エッセイ。
疲れた心に効く色、香り、旅行、ファッション、食べもの、ダンス……などなど、
自身の体験をもとにスランプを脱出する方法を伝えている。
装画はフランスの画家、ピエール・ボンコンパンの『Fall in blue』。