もやもやしたり、イライラしたり、くよくよしたときに、
そこに何が関わっているかを客観視できたなら、心は少し軽くなるかもしれません。
自分を知る、人を知る、時代を知る、社会を知る──。
理解の手助けになるような本を、こころの本屋の本棚から紹介します。
Edit : Ayumi Sakai
日常に疲れたら、
別の時間の流れに身を置いてみる
この原稿を書いているのは、あと数日間で2024年が終わる年の瀬です。1日が24時間であることは変わりないはずなのに、大晦日から新年が明けるときの気持ちには、特別な切り替わりがあります。いつもより空気が澄んだように感じられるこの時季に、ぴったりの一冊を手に取りました。
『旅をする木』は、アラスカに暮らした写真家の星野道夫さんが1993〜1995年に書いたエッセイです。十何年か前にはじめて読んだときの私は、なんて美しい季節の便りなんだろうかと、アラスカの大地に思いを馳せました。
険しい山々、苔むした原生林、野生動物の生と死、厳しい寒さ、氷河の上ですごす夜の静けさーー。壮大な自然は近寄りがたいものですが、星野さんの文章にはやさしさがにじみ出ていて、空調のきいた部屋でそれを読む私でも、突き放されることはありません。私の知っている言葉で、私の知らない風景が描写されているページをめくっていると、いつの間にかすーっと引き込まれていき、日常からしばし離れて旅に出たような気持ちになるのです。
19歳の夏、はじめてのアラスカ滞在を通して「人の暮らしの多様性に惹かれていった」という星野さんは、オーロラやカリブーに向けているのと同じようなあたたかい眼差しを、人にも向けています。自然と共生している先住民や、身近な友人、書物のなかで知った世捨て人まで、なんとも魅力的な人たちばかり。星野さんは「人間の風景の面白さ」と表現していました。
いまこの瞬間に世界中で違う時間が流れていること、日々の営みを忘れさせる悠久の時間があること、それでいて、時の流れは二度と後戻りできないこと。読み終えたいま、私にとってのかけがえのないものについて考えています。
『旅をする木』星野道夫/文春文庫
15年以上にわたりアラスカで暮らした写真家・探検家である著者が、
アラスカの大自然や、そこに生きる動物、人々について書いたエッセイ。
手紙の文体でやさしく綴られる前半では自然への畏敬の念が描かれるほか、
10代の頃より自身の情熱を行動に変えてきた著者の歩みについても読み応えがある。
1995年に同社より出版された単行本を、1999年に文庫化している。