現代人が抱える悩みや日々わいてくる心のもやもやに、
多くの人とその人生に向き合い、心を癒してきたあの人がアドバイス。
今回の回答者は、禅宗の僧侶・宇野全智さんです。
「自分を良く見せたい」という願望があり、必要以上に高価な物を身につけたり、知ったかぶりをしてしまいます。お金がないときでも、後輩にはおごらずにいられません。最近はそんな自分に疲れてきました。そろそろ見栄っぱりを卒業したいです。
見栄は
自信のなさの裏返し
自分をよく見せようとしたり見栄をはる行動の根底にあるのは、人より自分が上でいたいという気持ち、つまりマウンティングに近い気持ちがあるのではないかと、私は思います。
同時に、見栄は自信のなさの表れでもあるでしょう。だからこそ、高級な服や時計で自分を〝かさ増し″ して「あなたより私の方が上」と示したいし、「すごい」とほめてもらいたいのかもしれません。
むやみに自慢したりマウントを取る人に接したとき、あなたはどう思うでしょう。憧れたり尊敬したりしますか?「自分も同じことをしている」と気づくと、スッと酔いが覚めるように、見栄をはる心が消えることがあります。
そのままの自分では
自信は持てない
ただ、自信は何もしないで出てくるものではありませんね。「みんな違って、みんないい」という言葉がありますが、禅ではそのままの自分で「いい」にはなりません。やはり、仏のように素敵な人になろうとする努力が必要です。そして、「素敵な人だな」と思われたり、感謝されたりしたときに初めて自信がうまれるのだと思います。
見栄を良い行いや思いに変える
禅では古くから『無財の七施(しちせ)』という教えがあります。

どれもなにげないことですが、こういうことができたら素敵です。やさしい目で相手を見たり、「この人の仕事がうまくいくといいな」と願ったり、何か特別なことをしなくてもいいのです。毎日の生活の中で、素敵な人になるための行いをしていけば、自分に自信がついてきます。すると、見栄という余計なアクセサリーはいらなくなるでしょう。