「ペンギン ブックストア」選・今月の一冊 #16

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『旅の断片』
若菜晃子・著/アノニマ・スタジオ


お客様から「元気がないときに、おすすめの本はないですか?」と
よく訊かれるというペンギン ブックストア店主の立石さん。
そんな時、立石さんは「元気が出る本」ではなく
「元気がなくても楽しめる本」を紹介しているのだそう。
気持ちに寄り添ってくれて、硬くなった心をほぐしてくれる。
そんな一冊を、毎月セレクトして独自の視点で紹介する人気連載。

Text : Minobu Tateishi(Penguin Bookstore)
Edit : Ayumi Sakai

日常を離れ、見知らぬ街を彷徨っている気分になれる、
目的のない旅のエッセイ

本屋を開くとき、実は店名にもうひとつ候補がありました。それは「本の旅」という名前です。本を読むのは、旅をすることと似ている。以前からそう思っていたからです(結局は、「親しみやすい方にしよう」と、今の名前になったのですが)。

若菜晃子さんの旅のエッセイは、行ったことのないはるか遠い場所、たぶんこれからも行くことがないであろう場所に、私を連れていってくれます。

旅に出る目的は、人によって色々でしょう。雄大な自然、世界遺産のような名所旧跡、素敵なホテルや温泉、グルメ……。でも若菜さんの旅には、特別な目的はありません。

「ただその国の人も行かないような地方を訪れて、自然のなかに入り込み、小さな町に滞在して、そこに生きる人々と同じようにパンを買い、坂道を歩き、夜中に横たわって吹く風の音を聞いていたりするだけなのだ」。

観光ガイドで紹介されるような場所には行かないし、大きな事件も起こりません。でも、たとえばインドで蚊を叩いたら、リキシャを運転する青年に「無駄な殺生をしてはだめだ」と咎められたという体験は、旅に出なくては得られないかけがえのない記憶でしょう。

エッセイの中に、こんな文章を見つけました。「今、世界中で人類が到達したことのない場所はたしかに無数にあるだろう。しかしその前に自分が到達したことのない場所はさらに無限にあるのだ。ここではないどこか、冒険すべき裏庭はどこにでもある。それは世界中に、身の回りに、そしてこうして物語のなかにもある」。

若菜さんは、旅から帰るといつもしばらくはぼんやりしていると書いています。「おそらく肉体は現実的に帰ってきているけれども、たましいは帰ってきておらず、旅先を漂っているのだろう」。いい読書体験をしたあとの感覚に似ているなと思いました。

「今日、なんにもなかったな」「いつもと同じ一日だった」という日は、どうぞこの本を開いてみてください。たとえこの場所からどこにも行けなくても大丈夫、旅は自分の中にあるのだから、と気づけるはずです。

『旅の断片』
若菜晃子・著/アノニマ・スタジオ
『山と渓谷』(山と渓谷社)の副編集長を経て独立し、
文筆家として活動する著者による旅の随筆集第二弾。
メキシコ、イギリス、キプロス島、インド、ロシアのサハリン、
スリランカなどを旅して出会った人、心に残った風景、
旅を通して考えたことなどを、静謐な文章で情緒豊かに綴った。
2020年に、本作で第五回斎藤茂太賞を受賞。

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