あのひとの描く人生模様 #02

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医師・稲葉俊郎さん vol.1
「人間も自然の一部。医療者として『治る力』を最大限に引き出したい」


上を向いてぐんぐん歩いていけるときもあれば、
落ち込んだり迷ったり、ときに立ち止まったり。
人生の曲線は大小の波のように、みなそれぞれに違った模様を描いています。
ここでは、さまざまな方の人生曲線を拝見。
その足跡から多彩な生き方をうかがうインタビュー連載です。
揺れたり落ち込んだりしたときの、心のお守りも教えていただきました。

Photo : Kohei Yamamoto
Text : Akari Fujisawa
Edit : Ayumi Sakai

つらい時期もやり過ごせば春が来る。自然が教えてくれる摂理

木立に囲まれた、静かな一軒家。訪ねたのは、軽井沢に暮らす医師・稲葉俊郎さんのご自宅です。 「いい天気ですし、外にもテーブルを準備をしたんです」と声をかけていただき、ふかふかの落ち葉を踏みしめながら庭をぐるりとひとまわり。秋の錦に包まれ、インタビューは始まりました。

「毎日、木々の色が変わっていくんですよ。こうして変化する環境に身を置いていると、自分も変わっていくのを感じます。画一的、固定的な場では、自分自身も一定であまり変化がないように思えますし、変化そのものに対して恐怖や恐れを感じる人もいるでしょう。けれど四季が巡るように、すべてのものはぐるぐると循環しています。

軽井沢の冬は、冷たい氷の世界です。寒さも厳しく、裸になった木は永遠にこのままなのではと思うほどですが、かならず芽吹きはやってきます。冬の時代をやり過ごせば春は来るのだということを、観念ではなく身体感覚として受け入れられるようになりました」

こうしてお話を聞いている間にも、はらはらと葉が舞い落ち、世界は色とかたちを刻一刻と変えています。人も、その自然の一部なのだと思えば変化して当然。揺らいだり移ろったり、時に厳しい状況だってあるでしょう。でも、かならず春はやってきます。 では人生というスパンで振り返ると、どうでしょうか。稲葉さんに人生曲線をお願いすると、こんなふうになりました。

生まれてすぐにぐんと下がり、ラインを越えて「あの世」まで。そこから上昇し、浪人で一度元気をなくしますが、晴れて夢だった医師を目指す道へ。ところが、医師として過ごした約20年間は、またどん底のようなラインを辿ります。上昇したのは2020年、軽井沢へ移住をしたタイミングです。

「僕は一度、あの世をさまよい戻ってきています。3、4歳のときです。長く入院生活を送り、そこで命を助けてもらったという体験が大きく、そのことが将来の仕事に結びつきました。 医師になりたいというよりも、『命を助ける仕事』に就きたかったんですね。そういう意味で医師は、目指す職業としてわかりやすい存在です。実際に働き出してからは、循環器内科医としてカテーテル治療や先天性心疾患を専門に携わりました」

「修行時代」に気づいた、医師としての自分の役割

稲葉さんが「修行時代」と振り返る医師として過ごした20年。当時働いていた大学病院は、患者の数も多く、限られた時間に予約がぎっしり埋まっていました。患者は満足いくまで話を聞いてもらえない、医師は思ったように患者と関われない。より多く、より早くを求められる現場で、自分は医師として相手の人生のためになっているのだろうか、ほんとうにやりたかった仕事はこれなのかと、稲葉さんはくり返し問い続けました。

「病気を治しても、根源的な原因に変化がなければ、また別のかたちで繰り返されてしまうこともあります。体の不調の原因が、心にある場合もあるし、逆も然りです。医者は病気を『治す』と思われていますが、人間にはそもそも『治る』力が備わっています。その人に合ったアプローチを見極め、治る力を最大限に引き出すのが医療の役割だという気持ちがだんだんと強くなりました」

生きる力を高め、喜びを感じられる本質的な医療を目指して

自分の考えや伝えたいことが西洋医学の中だけでは収まり切らない。その違和感を大切に抱え、見えない答えを探り続けた稲葉さん。大学病院に勤務しながらも、アーユルヴェーダや中医学といった伝統医療、漢方や鍼灸などの代替医療、民間医療などへの学びを深めていきました。

「『病気が治って健康になる』のではなく、『健康になったから病気が治る、あるいは気にならなくなる』という考えもあると思います。では健康とは、どういう状態を指すのか。その定義は人によっていろいろですが、体と心の調和、全体性が整うという意味合いでも考えられます。芸術に触れて感動し、新しい視点を得ることも、医療のひとつだと思うのです

医療の役割とは何か。本質的な意味での、「命を助ける仕事」として、自分は何ができるだろうか。稲葉さんは考え続け、子育てを含めた家族のしあわせ、ほんとうにやりたいこと、身体感覚としての喜びを感じられる環境など、あらゆることを重ね合わせ導いた結果が、東京から軽井沢への移住でした。

「放てば手にみてり」の精神で、思い切って手放してみる

ここで人生曲線をもう一度見てみると、2020年で別の角度からの点線が合流しています。

「これは自分が生きなかった、もうひとつの人生です。シャドウ(影)とも呼んでいます。誰もが漠然と、これをやってみたかったと夢を見ながら人生を終えていきます。たとえばパイロットになりたかったとか、海外で暮らしてみたかったとか。仕事に就くと夢で終わらせ、見て見ぬふりをしてしまいます。でも僕は、そのシャドウを生きているうちに融合させたいと思いました」

2024年春には、移住後に拝命した軽井沢病院の院長を退き、医療現場から離れると決めた稲葉さん。これもまた、大きな決断です。

これを機に、西洋医学の経験を活かしながら、音楽やアート、文学、伝統芸能といったさまざまな芸術に、対話や湯治などをかけ合わせた「いのちを呼びさます場」づくりに取り組む活動を、人生の軸として本格的にスタートさせました。

これこそがまさに、稲葉さんがやりたかった「もうひとつの道」。しかし、これまでに積み上げたキャリアを手放すことに、恐れや迷いはなかったのですか? ちょっと泥臭い質問に、稲葉さんは明るく答えてくれました。

「まさに、道元禅師の『放てば手にみてり』です。思い切って医師という立場を放ったことで、手の中の空白に満ち足りたものが入ってきたのだと思います。ずっと掴み続けていると同じ場所には留まれるかもしれませんが、新しいものは何も入ってこれないのかもしれませんね」

続くvol.2では、稲葉さん自身が支えられたというアートの話を伺いながら、医療と芸術との関係についてをお届けします。


< 私の心のお守り その1 >
「『此の世このまま大調和』。河井寛次郎の言葉です。
彼は民藝運動で知られる陶芸家ですが、 書やデザインなどあらゆる手法で、
暮らしの中の永遠性や宇宙の調和について気づかせてくれます。

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