「分人主義」という処方箋

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小説家・平野啓一郎さん vol.1
「『本当の自分』なんて、見つからない」


「本当の自分って何だろう」「わたしらしくいられる場所が見つからない」
そんな思いがよぎったことはありませんか。
あるいは現在進行形で、もやもやとした思いを抱えている人もいるかもしれません。
自分らしさへの問い、そして人間関係にまつわる悩みを解きほぐす一助として、
「分人(ぶんじん)」という概念を提唱しているのが、小説家・平野啓一郎さんです。

今秋、劇場公開となる「本心」をはじめ、文学を通じて分人主義を描いてきた平野さんに、
現代社会で感じる「生きづらさ」から脱却する手がかりをお聞きしました。

Photo : Daisuke Ishizaka
Text : Akari Fujisawa
Edit : Ayumi Sakai
< 「個人主義」から「分人主義」へ >

「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。
「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。
引用:「分人主義」公式サイト:https://dividualism.k-hirano.com/



「本当の自分」は、ひとつじゃない

僕のまわりでも40歳前後あたりから、メンタルから体調を崩す人、悩みを抱える人が増えてきました。原因はそれぞれにありますが、多くは人間関係のようです。コミュニケーション能力が大切だとさかんに言われる世の中で、それに思い悩む人がたくさんいます。
その理由として、「たったひとつの存在である個人」というこれまでの概念が、現代を生きるわたしたちとの間に、齟齬を生じさせているのではないかと感じています。
これまでは、中心に「本当の自分」があり、対人ごと、仕事や環境ごとに違った仮面(ペルソナ)をつけ替えるようなイメージをもってきました。これでは、本当の自分以外は、「仮の自分」「嘘の自分」に思えてしまいますが、そんなこともないはずです

それよりも、対人関係ごとに分化する自分自身が、複数存在していると考える方が自然なのではないかというのが、「分人」の概念です。言い換えれば、すべての分人が「本当の自分」なのです。

僕たちは「本当の自分とは何なのか」ということを強く問われる社会に生きています。特に10代の頃は、自我の確立を通じて、「自分らしく生きる」とか、「本当の自分を見つけよう」なんていうメッセージにたくさん囲まれていました。「魅力的な人生=自分らしい生き方」というロールモデルは、メディアでも取り上げられています。
しかし実際には、「本当の自分」「自分らしさ」なんてわからない。だからこそ「自分探し」と称して旅に出たり、迷ったり、悩んだりするわけです。

コミュニケーションがうまくいくのは、
自分らしさを失っているからなのか?

「たったひとつの本当の自分」という考えが、悩みを生み出しているのではないか。そう思えるのには、大きく分けて、ふたつの要因があります。
ひとつは、社会の多様性を認めようという考えの広まりです。世の中にはさまざまな性格、背景の人がいる。ですから対人関係においては、いろいろな人に応じたコミュニケーションをおこなう必要があります。あの人とはこういう感じで話すとうまくいくけれど、この人とはなぜかうまくいかない、だからまた別の話し方で……という経験が誰しもあるでしょう。その人ごとの「人格の分化」が必要になっているのです。

しかし一方で、そうやって対人関係ごとに変化していく自分が、人の思惑に翻弄されて、自分らしく生きていないように思えてしまう。周囲とうまくやっていけば、なんだか自分らしさが失われていると思えてくる。ここに、矛盾が生じています。
これは、「本当の自分」が「たった一つある」という考えに基づいています。

「本当にやりたいこと=生涯の仕事」が生んだ
「何者でもない」苦しさ

もうひとつは、職業選択における終身雇用です。「たったひとつの職業を選び、20~60代までの約40年間、同じ仕事を続けていく」というモデルですね。近年は急速に変わりつつありますが、長く強固に根づいてきました。

10代の頃にいろいろな関心を絞り込みながら「本当に自分がやりたいこと」を一つに見定め、生涯取り組んでゆく。そのために、職業そのものが、アイデンティティの中心になります。 しかも、本当にやりたいことが見つかったとしても、必ずしも就職できるとは限りません。そうなると、「自分は何者でもない」というアイデンティティの危機につながります。あるいは、本来の希望とは違うことをしている不本意な自分に対し、不安を覚えてしまうこともあるでしょう。

最近はインターネット環境の向上で、いくつかの仕事を掛け持つことが容易になってきました。官民挙げて副業、兼業を後押しするような風潮さえあります。昔はどんなにピアノが上手でも「それで食っていくなんて不可能だ」と言われましたが、今ならサラリーマンとして働きながら、ピアノの動画を配信できるし、収入につながる場合だってあるでしょう。自分をひとつの面だけに絞り込まずとも、多面的に生きていけるようになりました

いろいろな仕事をしながら、いろいろな関わりをもつ自分というものを、肯定的にとらえていく。そうやって、複数の分人を持つことは、リスクヘッジにもなるし、自分の居場所が見つかることにもつながります。

複数の要素で構成されているのが「自分」であり、分人の集合体であること。そして、その比率は変化していくのもまた当然のことだというのが、分人主義の考えです

悩みの半分は他者のせい。
分人には、自分を変える可能性がある

分人という考えを取り入れたことで、僕が感じるいちばんの変化は、人との関わり方です。分人は、関わる場所や人により変化しますから、自分の分人は、他者との相互作用で生じるものです。そうすると、人間関係のもやもやは、半分は人のせい、とも言えます。

「自分が本質的にこういう人間だ」と思ってしまうことと、「嫌な人間と関わることで自分の性格がこうなってしまうのだ」と自覚することでは、やはり受け取り方が変わってくると思うのです。

たとえば、子どもを頭ごなしに怒鳴りつけてしまったとき、「自分は本当はこういう人間だったのか」と本質規定すると、自己否定に陥り、そこから違う自分になるのも難しくなります。しかし、状況や関係性によりなりうるのだと自覚できれば、じゃあその状況を固定せず、どうしたら良いのかを考えることができる

また、自分にとっての嫌な分人と、楽しく好きな自分でいられる分人があれば、後者の比率を増やすことで、相対的な楽しさも増すでしょう。分人には、自分を訂正し変化させていく可能性が開かれている、そこが重要だと思います。

Vol.2へ続く

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