お客様から「元気がないときに、おすすめの本はないですか?」と
よく訊かれるというペンギン ブックストア店主の立石さん。
そんな時、立石さんは「元気が出る本」ではなく
「元気がなくても楽しめる本」を紹介しているのだそう。
気持ちに寄り添ってくれて、硬くなった心をほぐしてくれる。
そんな一冊を、毎月セレクトして独自の視点で紹介する人気連載。
大人への階段を上るときの「大切な出会い」を
思い出しながら読みたい、宝物のような絵本
旅に出ると、いろいろな書店を訪ねるのを楽しみにしています。先日神戸を旅したときに立ち寄った、海の近くの小さな書店で、ぱっと目が合ったのがこの絵本。絵の美しさに、どうしようもなく惹かれてしまいました。
画家の堀川理万子さんが、50代になってから描いた絵本です。
ただ無邪気に過ごしていた子ども時代から、大人になる入り口のところでぶつかる、人生初めての危機。何かをきっかけに、世界が違って見えて立ちすくんでしまう。そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか。そんなとき〝家族ではない大人〟に、思いがけず助けられることがあります。
この本には、おばあちゃんが子どもの頃に〝家族ではない大人〟と過ごした日々のことが描かれています。それは、海辺のアトリエに住んでいる画家の女性。
「自分も絵を描いてみたい」と思った少女(おばあちゃん)に、女性はこう言います。『人はだれでも、心の中で物語をつくることができるでしょ。だれでもみんな、心の中は自由だから。それをそのまま、描いちゃえばいいのよ。どんなふうにだっていいのよ』
朝起きて、さかだちの練習をして、ごはんをたべて、海にいって、そして絵を描いて。そんな日々を過ごすうちに、少女の心は癒されていきます。読んでいる自分も、まるでこの海の家にいて一緒に暮らしているような気持ちになってくるのは、この絵の力でしょう。描かれている部屋の中には、光が差し込み、風が流れています。この世界でなら、深く息ができるような気がします。
その絵描きの女性のおかげで、少女は「さいこうの毎日」を過ごすことができたのだけれど、もしかしたらその女性も、少女から元気をもらっていたのかもしれません。
絵描きの女性は、堀川さんが子どものころ絵を習っていた先生がモデルだそうです。「わたしにとってはじめての、子どもを〝子どもあつかいしない〟おとなでした。」大きくなった堀川さんがこんな素敵な絵本作家になったことを知り、先生はどんなに嬉しいことでしょう。
堀川さんはまたあるインタビューで、30代の頃に働けなくなった時期があると語っています。仕事をすべて断り、1年4カ月もの間、ベッドと車椅子で過ごしていました。でも思い切ってゆっくり休んだおかげで、本来の自分を取り戻すことができたといいます。スランプを通り過ぎたあとだからこそ、これほど優しさに満ちた本が描けたのかもしれないな、と感じました。
『海辺のアトリエ』
堀川理万子・著/偕成社
おばあちゃんの部屋に飾ってある女の子の絵。
「この子はだれ?」「この子は、あたしよ」。
おばあちゃんが話してくれたのは、画家の女性と過ごしたある夏の思い出。
学校にいけなくなった少女が、海辺のアトリエで過ごした宝物のような日々を、
絵本作家でイラストレーターの堀川理万子が、魅力的な絵で描いている。
Bunkamuraドゥマゴ文学賞(2021年)ほか、数々の賞を受賞。